2005年12月16日
第8回「まぶい」または「まぶやー」
今月は更新できないかと心配していたんですが、、、なんか年末でいろいろ忙しいしくて危ういところでセーフかな。
で、今回のお題は「まぶい」または「まぶやー」です。
字にすると「魂」です。地域によって数が違うけれど、人間の体には、この「まぶい」が3つ、もしくは7つあるといわれ、子供が愕いたり、強い衝撃に合うとまぶいを落としてしまうこともあると言われています。日常でもちょっと驚いたり、危ないめに会うと「危うくまぶいを落とすとこだった」なんていいます。落とさなければいいんですが、落としてしまったら、病気になったり、体調不良になったり、腑抜け状態になったり…。なので当然落としてしまったり抜けてしまった「まぶい」を体に戻さなければなりません。その儀礼を「まぶいぐみ」とか「まぶやーぐみ」といいます。
「まぶやーぐみ」のやり方は土地土地によって異なるようですが、本島の一例では、子供が「まぶい」を落としたと思われると、「ゆた」に頼んで落とした場所を占ってもらい、小さなおにぎり七つ、おかずを七個、塩と水を用意して、夕暮れ時に行うそうです。まず「ゆた」がヒヌカン(火の神様)を拝んでから、当の子供の着物を持って「まぶい」を落とした場所に行き、「何年生まれの子供のイキマブイ、ナナマブイが落ちていますので、落として三日過ぎない今日にお願いしていますから、どうか引き戻してください」と祈って、「まぶい」を着物に呼び戻します。その着物を持ち帰って当の子供に着せ、用意のおにぎりを食べされてから塩と水で清め、さらにススキを三本結んだ魔よけの「さん」で体をたたきます。
また、大人の場合も自分の家の外で亡くなると、そこにまぶいを落とすので、必ず「ゆた」が「まぶやーぐみ」を行って着物に「まぶい」を拾い、その着物を死者に着せて弔いをするのだそうです。
また、特別に「ゆた」に頼むのではなく家族で「まぶやーぶみ」を行うこともあるようです。「まぶい」を落とした場所がわかればその場所で、わからなければなぜかフール(トイレ)で。トイレの神様はとても力が強くてどこからでも呼び寄せることができるのだそうです。
「まぶやーまぶやー、うーてぃーくよー」(魂よ、魂よ、追ってきなさい)と唱えるのだそうです。
かつては生活の一部だった「まぶやーぐみ」。最近では、ほとんど行われなくなっているようです。
―語句説明―
「ゆた」:宗教的な民間の巫女。病気や家庭なの不幸や旅行や受験など、沖縄の女性は何かにつけて「ゆた」のところに出かけて吉凶や不幸の原因を占ってもらう習慣があります。
「さん」:生命力の強い植物にはヤナムン(悪霊・魔物)を撃退する力があると信じられています。その代表的な植物がススキ。ヤナムン祓いの呪具として使われるススキは、根元から切り、先端の葉を結んだ状態のもので奇数本を用いることが多いようです。これを「さん」といいます。
―沖縄12月の行事のご案内―
●12月4日(日) :第21回 NAHAマラソン
●12月11日(日) :第4回久米島町産業まつり
●12月16日(金)~18日(日) :読谷陶器市
●12月17日(土)・18日(日):恩納村産業まつり
●12月22日(木)~27日(火):沖縄こどもの国「クリスマスファンタジー2005」
●12月23日(金)~2006年1月3日:第7回130万県民「平和の光」いとまんピースフルイルミネーション
●12月31日(土)~2006年1月1日(日):第28回 摩文仁・火と鐘のまつり
2005年11月01日
第7回「沖縄そばの日」
10月17日は『沖縄そばの日』でした。なぜ“10月17日”なのかって?
沖縄が“本土復帰”された昭和47年から数年後、それまで沖縄県民に愛称されてきた『沖縄そば(すば=方言)』が内地の公正取引委員会の“そばの名称の規約(……そばの名称は、蕎麦粉が三十%以上混入されていること……)”に抵触するとクレームが付けられました。『沖縄そば』には蕎麦粉が一切入っていないからです。
本土復帰と共に内地の人々にも『沖縄そば』を知ってもらおうと「沖縄県生麺協同組合」が普及のため努力したにもかかわらず、クレームが付いてしまったんです。“これはいかん!!”と言うことで、当時の生麺組合の理事長土肥健一氏が内地に出向いて奔走、数ヶ月におよぶ交渉、折衝の甲斐があって昭和52年10月17日、“通称”としての「沖縄そば」が認可されました。以来、10月17日を『沖縄そばの日』として定めたのです。
復帰直後の沖縄としては“内地”との融合を早めたいがための努力であったとは思いますが、私的観点からしてみれば『沖縄すば』で良かったような気もします。また「『そば』は“そば”であって“蕎麦”ではない」と言う“開き直り”があっても良かったとも思います。まぁ、当時としては“悲願”の一つだったのでしょう。
と言うことで『慰霊の日(6月23日)』と同様、『沖縄そばの日』は沖縄県民にとって“無くてはならない”日なのであります。
ラジオでもそばの日特集なるものをやっていました。お気に入りのそば屋さんの投稿が山のよう!
私のお気に入りのそば屋さんはやんばるの「やんばるそば」です。麺にコシがあり絶品です!スープはちょっと醤油味が強いような気がしますが、麺がいいんです。ここは観光客が並んでいる時もあるんですよ。と言っても高級そうな店じゃなくて近所の人が家族で来ていたりと非常に庶民的なお店です。が、そばに関してはこだわりを感じますね。
もう一軒のお気に入りは、今帰仁の「まんてん」。ここのよもぎそばは、病みつきになりますよ、本当に。
観光で沖縄にこられる時がありましたら、是非寄ってみてください。と言ってもやんばるだから那覇からは遠いです~。
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-用語説明-
やんばる:読谷あたり以北の地域をさすようです。
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・沖縄の11月のイベントのお知らせ
■沖縄国際カーニバル2005 11月5日(土)・6日(日)
闘牛や花火大会、民俗芸能1万人大パレードなど、沖縄市民の全エネルギーを結集してさまざまなイベントで賑わう。
■第13回日本最西端与那国島一周マラソン大会 11月12日(土)・13日(日)
日本最西端国境の町を走ろう
■第17回ツール・ド・おきなわ 2005 11月12日(土)・13日(日)
風光明媚な山原(ヤンバル)路を走るサイクリングレース。個人ロードレースでは日本最長200キロレースから一般サイクリストが参加できるレースまで幅広いコースを用意。
■サントピア沖縄ふれあいフェスタ 11月~12月
実年を対象にグラウンドゴルフ、歩け歩け大会の各種スポーツ競技、レクリエーション、工芸教室などのスポーツと文化の祭典。
―沖縄観光情報WEBサイトより―
次回更新は12月1日を予定しております。
2005年10月01日
第6回「沖縄の秋}
こんにちは。久しぶりの更新になってます。今回よりショートショートで気軽に書いていきたいと思います。今回は「沖縄の秋」。
沖縄には四季は無いとよく言われますが、個人的は今秋を感じます。
気温はほとんど夏と同じ。でもなんか色が違うんですよね。
空の色がなんとなく。雲の形がなんとなく。空気がなんとなく。日差しがなんとなく。
輝く太陽の下の真っ赤な赤花(あかばな)も見られなくなったし、ブーゲンビリアも葉ばかりなってしまった。ススキのような「うーじ」が花いっぱい咲かせるにはちょっと早い。
それに朝から煩かったせみの声もなくなって、、、
午後8時頃まで明るかったのが、今は7時頃までだし。
それに夜エアコンをつけっぱなしにしなくても眠れるようになってます。
でもウチナンチュに「もう秋だね」というと「沖縄は12月まで夏!」という返答が帰ってきました。
去年、今年とお正月は半そでで大丈夫なんだからそう言われてみれば、そうなんですがね。
関東地方などから比べたら、沖縄の秋はそれほど大きな変化があるわけではありません。
紅葉があるわけではないし、うろこ雲が空いっぱいなんてこともないし。気温は夏よりちょっと(2度くらい)低いかなという程度。
なので秋を感じろというほうが無理かもしれないですね。
季節の変わり目を感じるのはウチナンチュよりシマナイチャーのほうが感じられるかもしれません。
内地の生活で四季の変化を見て育ったということで、季節の変わり目のなにかを無意識に探しているのかも。
ということで私にとって沖縄は今「秋」です。
この季節に沖縄へ観光でいらっしゃる皆様、秋といっても内地とは温度がすごく違いますから、やっぱり着替えは夏用をご用意くださいませ。
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・ちょっと一言
今年の夏は(今現在もですが)奥武山の公共プールに結構通いました。沖縄では数少ない公共プールです。
沖縄はプールの数が非常に少ないです。何でも10万人あたりの公共プール数は全国44位。
沖縄は海に囲まれているからプールなんて必要ないって事でしょうか。でもウチナンチュ、泳げる人は少ないです。
・沖縄の10月のイベントのお知らせ
○第1回うるま市全島獅子舞フェスティバル 10月2日(日)
○那覇まつり(那覇大綱挽) 10月8日(土)~10日(月)(大綱挽9日)
○沖縄の産業まつリ 10月21日(金)~23日(月)
○首里城(しゅりじょう)祭・文化祭 10月28日(金)~30日(日)
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-用語説明-
赤花:ハイビスカス
うーじ:サトウキビ
ウチナンチュ:沖縄県人
シマナイチャー:他県からの沖縄在籍者
次回更新は「11月1日」になります。
2005年06月01日
第5回「ウチナーグチ」
もう、10年以上も前の話です。初めて沖縄に観光で来たときのこと。国際通りがすぐそばなのにもかかわらず、国際通りへの道がわからず、そばを歩いている「おじー」に道を尋ねたことがあります。「おじー」は私たちの言っていること理解しているようで道順を話し始めた様子。が、私たちには何を言っているのかさっぱりわからない!外国語のよう。手振り、身振りがあったので多分「右に行く」といっているのだろうと判断?! 結局私たちは相変わらずの“迷子状態”のままでした。 初めての「ウチナーグチ」体験でした。
「ウチナーグチ」とは
「ウチナーグチ」(沖縄方言)、言語学上の定義によれば琉球語と言えるようですが、現在琉球は国家を形成していませんから、沖縄方言ということになるようです。
「沖縄方言」といわれると、関西弁や東北方言などと同列におかれたような感じがしますが、そうではないようです。琉球大学を中心に言語研究者などで構成される「琉球語音声データベース作成プロジェクトによれば、沖縄方言は北海道から九州までの本土全体に対立し、日本語を二分する方言」ということです。琉球方言と本土方言は、共通の祖先(日本祖語)から弥生時代を上限とし古墳時代頃までの時期に共通の背線から分かれたと推定されています。
ちなみに「アイヌ語」も方言になるのかというと、日本語の系統とは違う言語として捕らえるのが一般的なようです。
言語とは何か
けれど、どうも引っかかる。本土方言と比較するほどの大きな違いがあると言いながら、関西弁も東北弁もウチナーグチもひとくくりに「方言」と言われています。言語と方言の境界線はどこなのでしょう。
「言語という定義は非常にあいまいです。普段言語と言うとき、それは言語学的なものではなく、政治的な意味であることが多いんです」と国際基督教大学で国際関係学を教える言語学者のジョン・マーハ教授は話されています。
例えば、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語は言語学的には非常に近く、イタリア語を話す人とポルトガル語とを話す人が会話すると、90%は通じ、お互いの新聞も読める。しかし、だからと言って「イタリア弁」「ポルトガル弁」とは言わない。なぜか。
言語を決めているのは国家だからです。権力や武力を持つ方言が言語となり、持っていないものはいつまでも方言と呼ばれることになります。
琉球(沖縄)は、日本という国家に組み込まれているから方言ということなのです。
琉球語
言語学的には、
○音に特徴がある。
○その言語に多くの変化形がある。
○歴史・文化的背景をもつ。
この3つがそろえば「言語」であるとされています。それをウチナーグチに当てはめれば、当然のごとく琉球語ということになるでしょう。19世紀までは「琉球語」と呼ぶのが常識でした。しかし明治に入り、政府によって「何を言語とし、何を方言とするかが決められ、琉球語は「沖縄方言」とされたのです。
そして沖縄では「標準語化運動」が強力に展開され、当時の新聞には「方言の殲滅(せんめつ)へ」などと語気の強い見出しが見られました。学校では「方言札」によってウチナーグチを禁止し、各集落では「方言使用禁止」の立て札が立てられました。
言語学上は琉球語、政治的には沖縄方言。その不明瞭な境界線上に、現在の沖縄の姿があるようです。
「方言札」………1879年(明治12)のいわゆる琉球処分後、明治政府による標準語化政策が進められ、日本の共通語を使わせるために各学校で行われた罰、みせしめの札。ある者がウチナーグチを使うと、次の違反者が出るまで札を首から吊るすことを命じられた。方言札をかけさせられた者にとって、次の違反者が出るまで首からかけていなければならない、屈辱的なものだった。
2005年04月15日
第4回「清明祭」
年中行事の多い沖縄で、春のイベントといえば「清明祭」。地元では「シーミー」と呼ばれています。
「シーミー」は中国から伝来した習慣で、旧暦の3月の吉日を選んで行われる祖先祭。中国の暦法にある二十四節季の一つ「清明」(せいめい)の季節に行われます。新暦では4月ごろに当たりますが、何日に行うかは家族や親族が話し合って決めるようです。
中国から伝来した18世紀頃には農事に関し、祖霊に加護を求めるものであったようですが、だんだんと沖縄独自の祖先供養の行事に変化し、現在では主に沖縄本島中南部で行われています。
一般的な清明では、まず門中墓の周辺の草刈り、清掃を行い、最後に各自の持参したお重の料理や、餅・お菓子・果物を供えます。そして一人一人線香(本土のものとは異)を焚いたり、紙銭(ウチカビ※)を焼いて先祖供養をします。
その後、墓に供えた重箱をみんなでつついて食べる宴会タイムになります。まあ、子供もいるのでピクニックという感じでしょうか。
沖縄のお墓は亀甲墓といってとても大きく、お墓の前には庭のようなスペースがあります。そこでピクニックということになります。内地ではこんな風景はないでしょうね。沖縄ではあの世とこの世のつきあいが身近なんですね。
「門中墓」

これは「シーミー」の時の重箱料理の一例です。

左の重箱には、白ムーチーが入っています。右の重箱は1段目左から「ごぼうの煮しめ」「赤かまぼこ」「魚てんぷら」、2段目「揚げ豆腐」「豚三枚肉煮しめ」「にんじんの甘酢煮」、3段目「田芋のから揚げ」「昆布の煮しめ」「玉子焼き」です。
※紙銭………ウチカビと呼びます。黄色の紙で紙幣より少し大きめです。あの世でもお金は必要と考えられているようで、お墓の前で燃やすことによってあの世に送ったことになるのだそうです。
線香………沖縄の線香は本土のものより長く、色は黒です。
2005年04月01日
第3回「島豆腐」
第3回は「島豆腐」です。そのまんま「しまどうふ」です。
沖縄では普通の豆腐ですが、内地のものと比べると非常に固いんです。木綿豆腐以上です。昔は紐で縛って運ぶことができるくらい硬かったとのこと。15年くらい前、まだ観光で沖縄の離島に来ていた時に紐で縛って豆腐を運ぶのを見たことがあります。味は塩味が内地のものより少々濃く、味も濃厚です。
――――「島豆腐」と「本土の豆腐」との違いについて――――
本土の豆腐の製法は「煮しぼり法」といい、豆乳を煮た後に漉して、おからと豆乳にわけてからニガリを加え、箱に入れて固めて出来上げます。
沖縄の島豆腐は豆乳を煮る前におからを漉しとってしまう「生しぼり法」製法です。牛乳のようにさらりとした豆乳が煮えたらニガリをいれ、固まりかけたら穴の空いた木箱に入れて重しをしながら水気を抜いて押し固めます。余分な水分が抜けて大豆の栄養とうまみだけを味わえるのが島豆腐です。ですから、栄養面でも本土の豆腐とは格段の差があります。 エネルギー量は、本土の豆腐の1.4倍。 たんぱく質は、本土の木綿豆腐が100g当り6.8gであるのに対して、島豆腐は9.1gと1.3倍も多く含んでいます。 カルシウムはほぼ同じですが、リン、鉄、ナトリウム、カリウムという無機質は島豆腐の方が多く、ビタミンB1およびB2も島豆腐が多いのです。 (『四訂日本標準食品成分表』による)
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島豆腐は、本土のように水にさらしている状態では売られていません。1丁もしくは半丁にその場で切って売られたり、スーパーでは写真のような感じでそのままビニール袋に入って並べられています。左が「島豆腐」右が「ゆし豆腐」です。島豆腐の大きさは5センチ×10センチ×5センチくらいです。これが半丁です。

沖縄でのおいしい豆腐の基本は、冷やっこよりも出来たての「アチコーコー」(意味:出来立てのあつあつ)です。この豆腐を揚げて出来たてを食べるのも又、格段と美味!。
豆腐製品としては、「ゆし豆腐」「豆腐よう」「じーまみ豆腐」などがあります。
「ゆし豆腐」とは、ニガリを入れた後、固まらせずにフワフワのまま食する豆腐。本土の「寄せ豆腐」や「おぼろ豆腐」に似ています。
「豆腐よう」は、琉球宮廷料理の珍味。豆腐を米コウジや紅コウジ、そして泡盛で発酵させたもの。3ヶ月から1年熟成させます。ねっとりとした食感と、芳醇な味わい。
「じーまみ豆腐」は、ピーナッツ豆腐です。プルンとしていながら、ねっとりという食感。ピーナッツの風味がおいしーい豆腐です。
沖縄にいらしたときには是非お試しあれ。
投稿者 まじゅん : 00:00 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月01日
第2回「模合」
「模合」もあいと読みます。
多分沖縄にしかな存在しないものではないかと思います。
少なくとも私は内地で暮らしていたときにはありませんでした。
これは沖縄では一般的に行われている「助け合い」です。
基本的なシステムとしては模合に参加する人を決め(大体10人前後でしょうか)、毎月の一人が出す金額を決めます。そして毎月「模合」の集まりを持ちます。まあ、大体が居酒屋なんですが。
その時に参加者が予め決めた金額を出し合い、集まった額を参加者のうちの一人が受け取るというもの。受け取る順番は最初から決めるのではなく、その月にお金が必要になった人。「模合」の幹事に「今月の『模合』は自分が取りたい。」という旨を伝えます。一人の出す金額が1万円だとすると受け取る金額は自分の分を含めれば10万円ということになります。「模合」を取りたい人が複数いる場合は、当人同士の話し合いで決めるか、半分づつ取り次回に又半分づつということもあります。10人だとすると「模合」も10ヶ月で終了します。
利子をつける「模合」もあれば、つけないものもあります。利子をつける「模合」の場合は、初めの方に「模合」を受け取った人は利子分を次の月から上乗せして出さなければなりません。
私も沖縄に移住して10年たつので、「模合」に誘われることも!保障もないので気心がわからないと誘われないんです。初めて「模合」に誘われたときは、やっと「模合」に参加できるようになったのか~と、へんに納得!
で、参加してみました。感想?う~ん、現代はクレジットで買い物ができる時代なので「模合」でお金を取って物を購入するなんていうことは、なんかピンとこない、っていう感じでしょうか。
月に一回集まるのがいいと言う人もいますが、私にとっては少々面倒という印象!
一人が1ヶ月に出す金額が10万円という「模合」もあるそうで……
持ち逃げ事件があったという噂も聞いたことがあります。ナイチャーの私から見ると結構怖いシステムですね~。沖縄ではポピュラーなんですが。
*「ナイチャー」…… 沖縄方言で「内地の人」のこと。ちなみに「島ナイチャー」というのもあります。これは多分(?)沖縄に住んでいて沖縄にしっかり根付いたナイチャーのことみたいです。
*「内地」…… 沖縄の人は沖縄県以外を「内地」と呼びます(北海道も含んでいるんです)。「本土」と言うこともありますが、「内地」と言うほうが多いようです。沖縄県は「ウチナー」です。沖縄では、ウチナーを内地と非常に区別します(差別に近いくらいです)。昔、琉球王国だったということがあるのかもしれません。
2004年12月01日
座間味島での第1歩
こんにちは まじゅんです。
「沖縄あれこれ」第1回目は、沖縄上陸初めての移住先「慶良間列島『座間味島』」のことからです。
はじめて座間味村を訪れたのはダイビングを楽しむためでした。海の青さにびっくり「まるで写真みたい」と思わず叫んでいました。島に行くたびに宿泊する民宿で民宿経営を一緒にやろうというオーナーの言葉で、タウンエースに詰め込めるだけの荷物を詰め込み島に到着。
ここでちょっと座間味村について

『写真提供座間味村』
座間味村は、沖縄本島那覇から南西へ約40キロメートルの洋上に浮かぶ大小20余の島々からなる離島村のひとつで、東に渡嘉敷村、北西に渡名喜村、粟国村、久米島を望むことができます。
面積は、16.87平方キロメートルで全島の地形は、平坦地が少なくほとんどが山林地域となっています。海岸線は50キロメートル余に及び、各島の北側の海岸は切りたった断崖から成り、南側の砂浜はそれぞれが珊瑚礁にふちどられ、世界有数の透明度を誇る海がすばらしい場所です。島の人口は1000名ちょっと位。
一周道路はありませんが、島の端から端まで舗装路が走っています。中心にある座間味集落からスクーターで西にも東にも30分くらいで端に行き着く位です。
夏はダイビング 冬はホエールウォッチングと一年を通して観光客でにぎわっています。
こんな島での生活が始まりました。
まず驚いたのは信号機がありません。少なくとも10年前はなかったです。まあ、必要ないといえばないんですけど。交通量は少ないし、かっとんで行く車もないし。
それと夜が暗いこと!そして夜空の美しいこと!降るような星の数。当たり前のようですが、新宿生活で暗い夜はなかったような。。。星は見えていたのでしょうか。
島にはスーパーが1件、スナックが1件、喫茶店が1件、豆腐屋が1件。保育園と小学校、中学校が1つずつ(10年前のお話です)。
新宿で生活していた私たち夫婦にとっては、非常に新鮮でした。何もかもがゆとりを持って流れていくという感じでしょうか。
朝は海へ行って深呼吸。
昼食をとったら昼寝です。何せ暑いので昼間の炎天下に外を歩いている人はほとんどいません。ダイビングできている観光客くらいかな、炎天下を元気に動き回っているのは。
夕方は護岸堤で夕焼けを眺めながらビールをぐぃ!夜になるとそこへ近所の「おじい」が三味線を持って現れ島歌(沖縄民謡)を歌います。
民宿の手伝いをしながら、毎日がこんな風に流れて行きました。事情があり3ヶ月間で島での生活は終了しましたけど、思い出深い3ヶ月でした。
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座間味島はダイビングの観光客が多いので、その影響か、はじめは小さかった民宿もかっこよくペンションに改造したり、民宿自体の規模も大きくなっていくようです。
だんだん沖縄独特の民家も少なくなって…
今でもあの島は変わってないのでしょうか。いや変わっているはず!
変わらないでいてほしいというのはやはり「ナイチャー」の身勝手でしょうか。
観光で成り立っている沖縄なので、沖縄独特な風情を残しながらの開発であってほしいなぁと思う今日この頃です。
●「ナイチャー」……沖縄方言で内地の人のことを指します。ちなみに沖縄の人のことは「ウチナンチュ」です。
●「おじい」……沖縄では「おじいちゃん」とはあまり言いません。おじいちゃんを「おじい」、おばあちゃんを「おばあ」が定番の言い方です。