2004年11月

新規参入

 「新規参入」という極めて汎用的なコトバ。今年に入ってからはそれが、まるでプロ野球界の専門用語のような様相を呈している。野球なんて知らん、という私でも野球界の裏事情を知る羽目になったほど、話題になっているコトバだ。
 新規に参入する奴がいる、ということは、元々その業界にいた奴らがいる、ということに他ならない。
 そして、元々その業界にいる連中が少人数で、しかもやたらと長い時間その連中だけで業界を牛耳っていると、新規参入は難しくなる。何故ならそこに「業界のボス」が出来上がり、「○○王国」なんてものが築かれてしまうからだ。
 王国の王様は、大抵の場合、わがままである。でもって、今いる仲間を維持することには積極的で、この居心地の良い王国を乱しそうな新顔を仲間に入れることには消極的である。野球界も、どうやらそれに近い構図が出来ていたようだ。
 だから、球界再編でゴタついた今、「新規参入」というコトバは「斬り込み隊長」的なニュアンスを持って使われることが多い。
 旧体制がのさばる球界への「斬り込み隊長」が、どれもこれも時代の寵児・ITベンチャーだったのは、もしかしたら必然なのかもしれない。何故ならITベンチャーは、元々経済界の「斬り込み隊長」だったと言っても過言ではないのだから。


 洒落たレストランのドアをくぐってから30分。智代は、先ほどから目の前で展開されるやたらハイソサエティな会話に、少々うんざりし始めていた。

 智代が半月前に越してきたこの地域は、大豪邸がずらりと建ち並んでいることで有名な、いわゆる“お屋敷街”だった。そして何故か、月に1度、ご近所の主婦が集まって開かれる“昼食会”への参加が半ば義務付けられていて、今日は智代にとってその“昼食会”初参加の日なのだ。
 大企業の社長の家や著名な政治家の家が建ち並んでいる地域だけのことはある。その妻も、相当にハイレベルだ。隣の主婦に無理矢理連れ込まれた“昼食会”の話題は、平凡な会社員の家庭に育ち、普通に会社勤めをしていた智代には理解不能な内容だった。
 「お爺様の別荘でこのほどお茶会をいたしましてね。××大臣がいらっしゃいましたのよ」
 「まあ、さすがは京子さん。お付き合いなさってる方の格が違いますわぁ」
 オホホホホ、と周囲からの賛辞を受けて上品に笑っている派手な外見のこの女性は、いわばこの地域のボスである。日本人なら誰でも知っている、という旧財閥系の大企業の社長夫人で、本人も政治家の孫なのだそうだ。地域の親睦を深めるとの名目のこの“昼食会”も、その実態は、この京子夫人が超ハイレベルな交友関係を自慢しては、周囲の社長夫人たちが「素晴らしいですわねぇ」と感心し続ける会に等しいようだ。
 智代とて、社長夫人のはしくれである。にしても、京子夫人のヨイショ大会のようなこのノリには、少々ついていけない。適当に嘘をついて中座してしまおうか、なんて考えが頭をよぎる。
 ―――いや、そんなこと言ってちゃダメだわ。他の奥さんたちも本音では迷惑してる感じだもの。お嬢様育ちの有閑マダムに負けるもんですか。
 後ろ向きになりそうな自分を叱責し、智代は密かにテーブルの下で握りこぶしを固めた。

 「ところで、智代さんのご主人は、どちらの会社でしたっけ」
 向かいの家の夫人が、今思い出したように智代に尋ねた。
 「○○エンターテイメントです。ご存知かしら」
 「まあっ! そこって、韓国映画などを手掛けてらっしゃる映画配給会社ですわよね」
 実際には韓国映画だけではなく、アジア映画全般を得意としている配給会社である。アジア映画が今ほど人気のなかった80年代後半、「これからはアジアだ」と予感した夫が、当時誰も見向きもしなかったアジア系映画専門の配給会社として立ち上げた。いわば、ベンチャーのはしりである。
 昨今の韓国ブームなどのおかげで、当時社員10名だったとは思えない程の巨大企業に成長し、こんなお屋敷街に豪邸を建てるほどになった。時代の寵児、などと言われて、経済雑誌にも夫は時々登場しているのだ。
 「良かった。ご存知なのね」
 「ええ、ベンチャーの成功例として、随分注目されてましたもの」
 数名の夫人が、そんな風に好意的な相槌を打ったが、そこに鶴の一声が割って入った。
 「○○エンターテイメント? 聞いたことないわねぇ……。ごめんなさい、わたくし、一流企業しか存じ上げなくて……」
 京子夫人のノンビリした言葉に、場がシン、と静まり返る。
 ―――そりゃ……そりゃ、あんたの旦那の会社から見りゃ二流、いや三流でしょうけど。
 なんて嫌味な女なんだ。智代の眉がピクリと上がりかけたが、ここは我慢だ。再び、膝の上の拳をぎゅっと握り締めた。
 「あ……あの、それで、ご主人とはどんな馴れ初めで? 確か結構歳が離れてましたでしょ」
 また向かいの家の主婦が気を遣って話を振ってくれた。不愉快さに頬がひくついてしまいそうなのを堪えながら、智代はなんとか答えた。
 「ええ、実は、職場結婚なんです。主人の会社で私が働いてまして……」
 そこまで言いかけた時、またしても京子夫人が口を挟んだ。
 「まあ、智代さん、働いたことがおありになるの。わたくし、留学先から戻ってすぐ結婚してしまったので、働いたことがございませんの。さぞご苦労が多いでしょうねぇ……会社勤めなんて」
 「―――……」
 立ち上がって、真っ赤なルージュに彩られたその口を、洗濯バサミで挟んでやりたくなった。
 がしかし、ここでも我慢。他の夫人連が「そうですわねぇ」と相槌を打たないことがせめてもの救いだ。智代は今度も、きわどい所で怒りをなんとか体の内に飲み込んだ。
 「け、けど、最近は“韓流”ブームですし、お忙しいでしょう」
 隣の席の夫人が、引きつった笑顔で話を進めたが、今回はその言葉をも京子夫人が取り上げた。
 「そうそう、“韓流”と言えば―――わたくし、先日、韓国の友人からソン様の直筆サインをいただきましたのよ」
 「えっ」
 夫人たちの目が、一斉に京子夫人に向けられた。ソン様、と彼女が呼んでいるその人物は、日本では人気ナンバーワンを誇る超売れっ子の韓国スターなのだ。世の主婦連同様、夫人たちもスターには弱いらしい。
 自分の一言に、夫人たちが羨望の眼差しを一斉に向けたことに満足したらしく、京子夫人は自慢げな笑みを顔一面に花開かせた。
 「しかも、ソン様のプライベート写真に“ミセス京子へ”って言葉まで添えてくださったのよ。やっぱり素敵な方ねぇ、ソン様って」
 「まぁ……羨ましいわぁ……」
 「ほんとに。私も、ただの色紙でいいから、ソン様のサインが欲しい……」
 うっとりした顔で相槌を打つ夫人たちに、改めて“ソン様人気”を思い知った智代は、そんなに欲しいなら、と、思わず口を挟んでしまった。
 「なんなら私、もらってきましょうか?」
 「えっ!!!」
 今度は、京子夫人も含めた夫人連全員の目が智代に集中する。その迫力にちょっと気圧されつつ、智代はおずおずと言葉を進めた。
 「私、通訳として夫に常に同行してますし、俳優さんが来日された際は私が案内役としてつくことが多いので、大抵の俳優さんはお友達なんです。ソンさんも、家族ぐるみのお付き合いですよ。だから多分、頼めばサイン位もらえると思いますけど」
 「……ほ、ほんとに?」
 「ええ。うちにも多分、探せば転がってると思いますよ、ソンさんのサイン。別に頼んだ訳じゃないのに、記念品代わりにサインとか写真とか仕事で使った小道具とかをくれますもの、ソンさんに限らず、皆さん。夫とも冗談まじりに“こりゃ映画スターミュージアムができるな”って時々笑ってるんですよ」
 「……」
 「あ、そう言えば、来週仕事で私も韓国行きますから、その時にでももらってきましょうか」
 「智代さん、今も現役で働いてらっしゃるの?」
 「ええ。来週の出張も仕事仕事で時間があまりないかもしれませんけど……会えたら、もらってきますよ、サイン位なら」
 ―――ゴクリ。
 夫人たちが唾を飲み込む音が、聞こえた気がした。
 その中でも一番真剣な眼差しで智代を凝視しているのは、他でもない、京子夫人だった。さりげなさを装ってはいるが、実はかなりのファンだったようだ。
 彼女の心の中で、プライドと好奇心が戦っているのが見える気がする。しばし、何か言いたそうに口元をムズムズさせていた京子夫人だったが、1分間の沈黙の後、とうとうこう言った。
 「―――ねぇ、皆さん? 次の昼食会は、智代さんのおうちにしませんこと?」
 飽くまで、高飛車な声音。しかし、目は完全に、智代に媚びていた。
 おそらくは、同じことを考えていたのだろう。夫人たちも、京子の一言に安堵したようにおずおずと声を上げる。
 「そ……そうですわね」
 「素敵だわ。是非私もご一緒させて」
 「私も是非。智代さん、ご迷惑じゃないかしら」
 ひたすら媚びた態度を取る有閑マダムたちを一瞥した智代は、どうしようかな、と迷うようなフリをした後、躊躇いを残したような声音で夫人たちに告げた。
 「わかりました。皆さんがどうしてもとおっしゃるなら―――…」

 ―――勝った。

 この瞬間、智代が心の中でニヤリとほくそえんだことは、言うまでもない。

本日の教訓:王様も、権力に弱い取り巻きたちも、ミーハーには勝てず。

→ コメント (0)